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第6回世界絵画大賞展にて、協賛社賞を受賞いたしました。
下記の期間展示されるので、よかったら足を運んでくださいませ。

会期:2010年10月24日(日)~2010年11月3日(水)
AM 9:30~PM 9:00(最終日はPM 3:00まで)
会場:世界堂新宿本店6F特設会場
http://www.sekaido.co.jp/prize06_kekka.html#top

あと、大阪芸術大学主催の国際アートトリエンナーレにも入選しました。展示期間は過ぎちゃったんですが、お知らせまで。
大阪芸大のホームページにて作品を見ることは出来ます。http://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/laboratory/leonardo/index.html
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前の日記で書いていた、九十九里浜の続きなんですが、
一村の展示を見に行った後、九十九里浜に行ってきました。
相方の趣味の”漂着物拾い”に同行した次第なのです。

彼曰く、九十九里浜はその漂着物拾いに良い場所らしいです。
調べるとそういう浜歩きをして色んな物を拾う遊びをビーチコーミングと言うらしいのですが、彼は基本的にはビーチに限らず生物を拾い、その骨を取り出し、組み立てる、という事が楽しいらしく、魚等の細か〜イ骨も(タンパク質をキレイに落とすとバラバラになる)一つ一つパズルの様に組み立てて標本にしています。
それが、結構きれいなんです。

しかし、肉がついた状態はちょっとグロテスクですけどね。
臭いもスゴい・・・
というのも、浜に行っていきなり見つけてしまったんです。

うち上がった骸を。

私は始め、マグロ!?と思ったんですが、歯があったしヒレもマグロとは違うという事で、小さいクジラかイルカだろうと思います。
もう人生で初めてこんな量のウジ虫を見ましたよ。奴らはワアワアお祭り状態です。
どん欲に食って踊ってました・・・。
そして先ほども言いましたが、臭い!死臭です。
発酵臭”以外”の朽ちていく臭いは強烈なものがありました。目と鼻を覆いたくなる。
やっぱり、ほ乳類と魚は質が違う感じがします。

相方は、「うーん頭だけ持って帰るか」とつぶやいていたので、
「いやいや!ここ迄着たら丸ごとイこうよ」と私がけしかけまして
全身解体を決行。といってもやるのは相方ですがw
発見したのは夕方だったので次の日の早朝、自炊可能だったペンションの包丁を2丁とコンビニで大きなゴミ袋、ゴム手袋、私の提案で塩1kg(塩漬けにしたら臭いが軽減するんじゃないかと思って)を持って砂浜へ。

臭い対策に口には手ぬぐいを巻いて、手袋をして包丁でさばいてゆく。
魚とは違い、骨に結構しっかり筋肉が付いていて解体しづらそうでした。
豚とか牛のさばき方知ってるといいのかも。
私は手袋持ってなかったのでふらふらしつつ見学。でも骨を砂で研いで海で洗うのはかなり奮闘しました、そして買っといて良かったフレグランススプレー。
かなり一生懸命肉を落としましたが、臭いがしつこく此れを持って帰るのはかなり大変、電車に乗ったら迷惑です。それでフレグランススプレーをふりかけて何重にも袋で包む。それでも、レンタカーの中は死臭くさく、ずっと窓は開けてました。
一番下の写真は骨を構造通りに置いてみたところです。
(人によってはグロテスク写真につき、注意!)

初めて、マジマジと骨の造形を見ましたが、よく出来てるな〜と感心しました。
脊椎の組み合わさり方がすごい柔軟に上下にシなれるような形をちゃんとしている。
一つ一つの部品は飛行機みたい
これが、自然に出来ているとは・・・

他の場所ではウニの骨を拾いましたが、スゴく綺麗だったので何とか樹脂とか使って帯留めに加工したいと目論んでおります。
楽しかったので、またやりたい、ハマるのか私。
ハマってしまうのも悪くない、うん。






千葉市美術館で田中一村展を見てきました。
遠いけど、今までなかなか本物を見る機会が無かったので、これは行くしかない!と思いはるばる高速バスで行ってきました。

やー、すごかった。
画集では見たことの無い昔の作品(なんと小学生の時のものから)や、今回初めて発見され展示された軍鶏図、頼まれて描いた屏風絵や天上画、有名な奄美大島での作品など、かなりの点数を生で鑑賞出来ました(後で図録見たら250点だった)。しかし、若い頃の作品が新鮮で面白かったのでじっくり見すぎて、最後の方は閉館時間ギリギリになってしまい、奄美大島時代の大作を流し見することに...(涙)1時間半じゃ足りなかった...、これから、行こうと思っている人は気を付けてね!あと1時間は欲しかった。

田中一村は、作品もさることながら、その人生もよく語られます。
50歳で単身奄美大島に渡り、極貧のなか本当に一途に純粋に自らの人生をすべて懸けて絵を描いた画家です。生前それらの作品を公表する機会もなく無名のまま没しました。粗末な借家で夕食の準備中に心不全で倒れ、床には刻んだ野菜の入ったボールがころがっていたという。生涯独身だった一村の、誰にも看取られない最期だった。(享年69歳)

一村は、1908年(明治41)、栃木に生まれた。彫刻家の父の影響で幼い頃から書画に親しんでおり、7才の時には児童画で天皇賞を受賞しています。その頃の墨絵も展示されていたが、かなりの腕前、小学1年生の作品とは思えない筆捌き、書も勢いのある良い字でした。神童と言われていたのも納得。父は幼い孝(一村の本名)の画才を見抜き、”米邨”という画号を与えたが、それが父”稲邨”の子だからと言うのが面白い。
そして、17才にして「全国美術家名鑑」に名を連ね、(十代で名鑑に名前があるのは彼だけだった)翌年には東京美術学校(今の東京芸大)に入学、同期には東山魁夷、橋本明治、加藤栄三らがいた。しかし一村は僅か三ヶ月で退学し、誰にも師事することなく独学で自分の信じる画道を突き進んでいく。東京の貧しい借家暮らしで肉親を次々に失い、千葉に移り住み、野菜を育て、鶏を飼い絵を描いていた一村は、40才頃から、精力的に公募展に出品していくようになる。しかし1947年に川端龍子主催の青龍展に入選するが、龍子と意見が合わず離れていったし、また日展、院展では認められず相次いで落選し、中央画壇への絶望を深めた。

日曜美術館を見て知ったが、1958年(昭和33)に自分の画人人生の中で描くことが出来た”悔い無き絵”が院展で落選し、その絵をナタを持ってきて、壊し火を付けて燃やしてしまったそうだ。その絵の白黒の写真が今も残っているが、もう色の付いたそれを見ることは叶わない。一村は燃やしながら「引きずりたくないから断ち切るんだ」と言っていたそうだ。同年、一村は奄美大島に渡ります。

以下、奄美大島に渡った翌年3月中島義貞氏あての手紙
 
『いま私の全神経は、絵に向いています。さわられても、叩かれたように驚きます。実に楽しく絵をかいています。絵が楽しくなると正反対に、私の言動は狂人に近くなります。オランダのゴッホも、フランスのセザンヌも、執筆中の夏目漱石も、画室に於ける横山大観先生も、狂人同様であったことを想起して下さい。
 いま私が、この南の島に来ているのは、歓呼の声に送られてきているのでもなければ、人生修行や絵の勉強にきているのでもありません。私の絵かきとしての、生涯の最後を飾る絵をかくためにきていることが、はっきりしました。
 皆様は、私が一人ならば、何とか絵を売って、この南の島で生活して行くだろうと、簡単に考えていらっしゃる様ですが、未知の風景、植物、動物を調査し、写生し、絵に構成し、それを名画の水準まで高めた上にさらに自分で売る程の精力の余裕が、私にあると思し召されて居るのでしょうか。私には猿回しや旅芸人のような生活力はありません。
 きょうは、山からヨモギを取ってきて、スイトンに入れ、黒砂糖をかけて食べました。千葉寺で米を買う金がなく、スイトンのゆで汁から丼(どんぶり)を洗った水まで、姉と一緒に飲んで勉強したことを思い出し、泣きました。』

大島紬の染色工として働きながら、一村は絵を描き続けた。地元の人の話によると、ハブが出るから危ないと言っても森に入ってゆき、「木も鳥もすべてが一緒に無いといかん」と言ってスケッチをしていたそうだ。奄美大島と出会って、一村の絵は変化を見せてゆきます。南国の面白い形態をしているモチーフもそうですが、そこに住む人々の信仰心や風土、生きている植物・動物・虫、とにかく全てのものにその感性を眼差しを向けて、それを絹の上に表現していきました。
代表作の一つである「クワズイモとソテツ」では、クワズイモの花が蕾から花開いて、そして朽ちていくまでを、またソテツの雄花と雌花(実際には開花に半年の差がある)も、同じ画面に描きこまれており、その奥には島で立神と云われている海に浮かぶ聖なる岩が描かれている。一枚の絵に時間の流れと、それと同じくして生物が変化していく様を表現し、命が繋がっていっているんだという事を感じさせられる。

一点ずつ感想を述べたいけれど、長くなりすぎるので纏めますが、
一村の到達した境地の作品群、そこには一点の虚偽はなく、彼の精神性が感じられ、ただただ作品に圧倒される思いである。

こんなにも絹に美しい墨の濃淡を描けるものなのか!墨だけで!(絵具の部分もあるが)
どれだけでも見ていられる求心力があり、その世界に惹きこまれる。描かれてるどの生き物もまさに“生きているもの“としてそこに「存在」しており、そのひとつひとつに一村の愛情というか畏敬の念を感じます。島の人は、一村の絵を見ると”怖い”と思うそうです。なぜなら、島の人は近づかない聖地といわれる人を風葬するその場所、そこからの景色を描いているそうです。彼はもうそういった島そのものというか、その一部になって描いていたんだろうと思いました。

個人的なポイントとしては、千葉時代からですが、彼の描く鳥のフォルムがすごい好きで、尾長鳥の絵なんか特に好きです。奄美に行ってからのアカショウビンも、もうたまらないです。(アカショウビンに関しては実物の造形もかなりキャラクターっぽいですが)ツボにはまってます。とにかく私としては、すごく感化されるというか、インスパイアされる展覧会でした。田中一村の過去最大規模の回顧展ですし、見に行く価値絶対ありです。http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2010/0821/0821.html

その後は、一村の“生命が変化していく”関連ではないですが、九十九里浜に漂流物を拾いに行ってきました。私の趣味では無く、彼の趣味なんですが興味があったので一緒に付いて行ってみました。その話は、また後程書こうと思います。


最近今更ながら働くっていいなーと思ってる次第なのです。
半年間フリーターやったから妙に実感こもるんだが、まるまるフリーの時間があって家でこもって制作していてもうまく時間を使えてたとは到底思えない。集中してやろうにも区切りが無いから結局ダラダラやってたりする。朝も遅くなり、生活リズムも崩れるし、何かこうメリハリが無くなって活力が失われる感じ。

今は率直に仕事が楽しい。
旅行好きっていうのにも繋がるけど、基本的に新しい事、やった事の無い事をやる、知らない事を知る、そんな事が大好きな私は新しい環境が楽しくて仕方が無いみたい。学芸員ていう仕事だからってのもあると思うけど。展覧会は美術館だけでつくるんではなくて、様々な分野の仕事をしてる人達がいて初めて完成する。だから色んな人と交流する機会があるし、勿論作家の方とも会える、更に作品に触れ間近で見る事もできる(役得!)。いい刺激がすごくある職場だ。
そして大の苦手の早寝早起き(高校時代は遅刻常習犯・・・)も板についてきて、ちゃんと活動してるからか仕事以外の事をやる体力もまあまあある。まあ、資本主義社会ぎちぎちの売り上げ至上主義の大企業!とかではないから言えるのかもしれんが。

制作したり、常にやりたい事があるからそういうものに没頭してるのもいいんだけど、自分のやってる事が自己完結にならず、ちゃんと社会に反映される”仕事”というのもすごく面白いなと思った。
制作でそうなったら良いかなと思ったりするが、それはそうなったで良い面と悪い面があるだろう。私は描き続ける事が出来ないようで、何かインスピレーションがあったりして描くモードにならないとモチベーションが上がってこないから、絵一本になったとしたらどうなるのか。”プロになる”という意気込みの点で弱いかもしれない。

話は変わって、GW終わってしまいましたね〜。
休みボケでちょっと今日はぼーっとしてたかも。
で、私は何をしてたかと申しますと、どっか遠出するのは込んでそうで嫌なので、近場で楽しんでました。まず妹とそのベイビーと散歩がてら野草を摘んで、お酢リンスと化粧水用の野草抽出液を仕込みました。ヨモギとスギナで。まあ、ただお酢リンスはお酢漬けに、化粧水用は焼酎漬けにするだけなんですがね〜。ただ使えるのは数ヶ月後なのでまだまだ先です。

そしてそらみみの仲間とシジミ狩り!
初めての経験です。よく晴れて気持ちよかった〜。
ピクニック気分で川辺でサンドイッチをほおばった後、パンツ水につかってまで河の真ん中の穴場スポットの浅瀬に頑張って行き、たくさんの天然しじみ捕獲。結構アサリの小さいのぐらいの大きいのもたくさん取れて大満足でした☆シジミはアサリと違って目の荒いザルで砂ごとすくって左右にふるって取る方法なので、次の日は全身筋肉痛の後遺症がありましたが、美味しいしじみ汁を堪能、ボンゴレも美味かった!
後はお茶会のお手伝いしたり、そらみみで行われた石鹼作り講座の手伝いしたりしてました。手作りコスメに足を踏み入れた今日このごろです。てか結構色んな物簡単に作れるんだなー。






ずっとやりたかったオリゼーちゃん、
もとい米麹ちゃんをやっと醸す(醸させる?)事に成功しました〜!
念願のデジタル温度計もネットでゲットしました。2000℃まで測れます!(使わねえー)


締めて丸3日間かかりましたが、よく聞くもやし職人さんの様に寝ず番をして・・・
とかではなく、保温器に入れて放置してる間は、バイト行ったり、鈴波で鯛の粕漬け定食を食べたり、県芸の卒展を見に行ったりしてました。

農文協の「わが家でつくるこだわり麹」という素敵すぎる!書籍を参考にして、いつもの如くそらみみ宅にて麹作り経験者のニラさん指導の下、そらみみシスターズの1人と計3人で先週の木曜日朝9時から麹作り始動。
本では3日目の昼に出麹(完成)という流れでしたが、緩やかに醸させた方が失敗しづらいと言うことで2日目以降は、保温器などで温度をあまり人工的に上げず、麹菌自らの代謝による発熱オンリーで十分(すぎる位)なので、常温に置いて見守りました。高温になり過ぎると老(ひ)ねてしまったり高温好きの納豆菌も入りやすくなるので、温度を下げてあげるのと酸素供給の為に”手入れ”(麹を広げて放熱させて塊があったらほぐす)と言う作業をそのつど温度を見て行ったという感じです。

麹作りの大きい流れは、麹菌をつけるうるち米をまず前日から水に浸しておく。
そして当日の朝に水切りして、強い蒸気で40分〜60分蒸す。
(しっかり1時間水を切るのがポイント、水が残ってると蒸す時に粘りが出てしまう。遠心力を利用して切振り回して切るのも短時間で済んで良いです。)
指でひねって耳たぶ程度の餅になればOK。(ひねり餅と言う)
そしたら広い台に蒸し上がった米を広げ、種付けにちょうど良い温度になるまで冷却する。36〜37℃。(人肌程度)

種麹は今回豊橋にあるビオックさんから購入。
本には米1kgにつき粒状菌1g(粉状はその1/3)と書いてありましたが、ビオックの袋には20gで米10kg分と書いてあったので、後者を採用。多い分には失敗しないそうなので。

今回は3.5升(5.25kg)の米だったので半分強の種麹を使いました。麹は自ら歩いて行けないそうなので、種付け(床もみ)は、茶漉しを使って蒔いていき、手でよくほぐしながらばらつきが出ない様に均等に混ぜていく。その後、引き込み(麹屋さんなら室(むろ)と呼ばれる部屋に入れる)を行うが、室が無いので、麹を布巾をしたザル(水蒸気が出るので下にはボールを敷く)に入れて保温器へ。温度は30〜32℃、湿度90%前後がよい。ここまでで初日の午前中の作業は終わり。

また引き込み後10〜15時間後(夜23時)に内外の生育が均等になるように”切り返し”という手入れと同じ様な作業をして、ある程度温度が下がったらまた保温器に入れて次の日の朝まで置いておく。この段階でほんの少〜し白っぽいポツンが見える。

次の日の朝、”盛り込み”と言って麹屋では、均等に空気が行くようにと、蒸気がこもらない様に麹蓋と言う木箱に平らに入れるが、私たちは切り返してからそのままボールで醸す事にした。ただ、熱がこもらない様に真ん中には窪みをつける。この時にはもう表面が白くなって来ているのがすぐ分かる。(かなり嬉しい♩)

それから、また10時間ほど放置なので、習い事の茶道と、スーパー銭湯にGO〜!
なんとその日はたまたま26日(風呂の日!)で全身マッサージが2600円!勿論やってもらいました。至福の時とはまさに此れだわ・・・
何だかんだで夜8時にそらみみに帰宅、ニラさんが一度手入れしてくれてましたv。
この日はそらみみに合宿して麹の様子を見つつダベりつつパンも作ったり・・・、んで夜12時くらいにもう一度放熱して、皆就寝。この頃にはもうかなりお米が白くなってます、お米を半分に割ってはぜ込み(菌糸の入り具合)を確認すると大体半分くらいはぜ込んでました。んで次の日の朝と夜にまた放熱(手入れ)して、完成。
(喜びもひとしお♩そして達成感・・・(T・T))

完成翌日の日曜日には、できた麹を使って、味噌と味醂とドブロク(妄想でって事で・・・笑)を仕込みました。味噌は1年後、味醂は半年〜1年後、ドブロクは20日後に完成です。楽しみだな〜☆この待ってる時間も楽しいんだなあ、これが。ああ、そろそろかしら〜とウキウキするのです。そういや去年漬けたアンチョビもそろそろ味見しようかしら!(←正にこんな感じで)
この日はもう1人のシスターズも参戦してコチュジャン仕込んだのを貰いました。コチュジャンは1日で出来ます。簡単でおすすめですよ、美味しいし。
ちゃんと熟成してできた自然の旨味は人工的に作ったアミノ酸とは全然違うな〜と実感します。

来月から学芸員業務の内定貰ったのでフルで働き始めますが(社会人に戻ります!)、基本の生活の中の”つくること”を続けて行きたいなあと思います。











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